2014.5.4 『結果』
聖書箇所/ルカ22:31~34 メッセンジャー:川内活也師
離反を予告されたペテロは頑として「自分はそんな事は無い」と言い張る。しかしイエス様の予告は数時間後に成就した/私達は時に「自分(だけ)は大丈夫」との自信を持つ。それは同時に「そんな大変な事態(失敗)になっては全てがダメになる」という恐怖・不安を元にするもの/失敗や弱体化、絶望的状況を好む人はいない。しかし、その「結果」を「最終結末」と考えてはならない事をイエス様はペテロに、そして私達に語りかけられる/失敗や弱体化、好ましくない「最悪な事態」という「実」を結んだ同じ樹が、次に結ぶのは「成功・成長・最高の状況」の実である可能性を忘れてはならないのだ/「倒れてはならない」ではなく「倒れたなら休み、力を受けて立ち直り、同じように倒れた兄弟達を励ます」事が出来るようにと、御霊御自身が今日も深いうめきをもって執り成し祈って下さっている事を覚え。「倒れても大丈夫」の信仰を堅く握ろう。
2014.5.11 『有り難う』
聖書箇所/ヘブル12:1~3 メッセンジャー:川内活也師
今日は「母の日」。川内教会では「家族感謝の日(FamilyThanksDay)」として記念している/<受けて当然の恵み>は無い。<恵み>を与えるためには誰かが何かを犠牲とするという選びと決断がある。それは受ける側の選び・決断・言動ではなく与える側の犠牲/当然の事では無い恵みが起こるという「有り」「難い」出来事という事を自覚しない者は「受けて当然」「受けられなければ不満」という関係しか築けない/「口」が合わないボルトとナットは結ばれない。払われた犠牲を知る事に恵みの受け手が思いを向ける時、真実の「有り難う=感謝」が生じ、与え手の思いと受け手の思いが結ばれる交わりの関係、「真実なる愛の関係」が築かれる/十字架に現された神の愛、その思いと払われた犠牲に目を、思いを向ける時、私達は「明るく元気に楽しく伸び伸び」、主の愛と恵みの日々を主と共に歩み出すのである
2014.5.18 『明け時』
聖書箇所/イザヤ9:1~7 メッセンジャー:川内活也師
最も暗く、気温が低いのは夜明け直前と言われる/人生の旅路を歩む中に襲う絶望的な闇・身も心も凍えるような不安な日。その日・その時間を永遠に変わる事無く続くように感じるかも知れない/昔、夜明け前の時間を「明け時」と言い、濁って「暁」と呼ぶようになった。「最悪」と思う時間は「明ける前の時間」であるという事を忘れて過ごすか、覚えて過ごすか、同じ「暁」を希望と感じるか絶望と感じるか/詩篇130:1~8にある「夜回りの歌」。暁に太陽は昇る。夜回りはその事を知って務めに立つ/キリストの復活の信仰に生きる時、この「暁の希望」の内に在って「死」に捕らわれる事はない(ヨハネ11:25,26)。大いなる光を知る「夜回り」として世の旅路を歩む時、インマヌエルなる主イエスと共に歩む日々は、どんな闇夜にあっても暁の希望をもって歩むことが出来るのである
2014.5.25 『使用上の注意』
聖書箇所/箴言15:13~18 メッセンジャー:川内活也師
製品には制作者による使用説明と注意が添付されている。それはその製品が正しく・最も良い・目的通りの効果を発揮するため/造られたモノに創造主である神は御言葉という「使用上説明と使用上の注意」を与えて下さっている。それは人がその存在・いのち・人生を明るく元気に楽しくのびのびと歩むため/箴言はそんな「神の思い」を簡潔に要約する知恵の書・人生の使用上の注意の大見出しのような書である/例えば「真の財産とは何をどれだけもっているかではなく持っている全てを失っても残っているものだ」という事を16節で知り、「富=幸い=人生に必要不可欠なもの」ではない事を17節で知る/私達は神が与えて下さった「人生」を、その本来の「最良の宝」として用いているだろうか?自己流で管理し用いて台無しにしてしまう事がないように「使用上の注意」を確認しつつ、日々を歩もう!