【今月のメッセージ要約】
バプテスト川内キリスト教会では礼拝で語られたメッセージを翌週の週報に要約として掲載しています。
しかし、本来礼拝のメッセージというのは霊の糧であり「礼拝という場」で語られ・受けとる<生鮮食品>ですので要約という「加工食品」には出来ないものです。ですからこの「メッセージ要約」については礼拝メッセージに代わるものではなく、全く新しい「ショートメッセージ」としてお読み下さい。そして、ぜひ、共に「礼拝という場」でのみ受け取る事の出来るメッセージを味わいに礼拝へとお出かけ下さい。
2014.6.15 『主の働き人』
聖書箇所/ルカによる福音書10章1~16節 メッセンジャー:川内裕子師
イエス・キリストは72人もの人々を任命し、方々へ派遣しました。派遣にあたっての持ち物についての言葉は、自分の力や他の力を頼りにするのではなく、神のみに委ねて働くように、との言葉でした。多くの村々が主の言葉を受け入れないであろうことをあらかじめ告げると共に、人々に「収穫は多いが、働き人は少ない」と語ります。私たちは主の福音の種を携え、それぞれの生活の場、宣教の場に遣わされています。福音を受け入れる人も、受け入れない人もいるでしょう。けれどもイエスは、結果をおそれず、委ねられた場所でそれぞれの賜物を用いて働くよう励まして下さいます。
2014.6.8 『求める者には』
聖書箇所/イザヤ55:1~8 メッセンジャー:川内活也師
「神が答えてくれない」と言う人がいる。果たしてそうなのだろうか?/主なる神様は全地に満ちておられる『在って在る方』(イザヤ6:3,出エジ3:14)。ならばなぜその「声」が聞こえないのか?/発信機がどんなに電波を発していても、受信機が無ければ、電源が切れていれば、チャンネルが合ってなければ「聞けない」。全てが整っていても聞く者が聞く姿勢を持たずに騒いでいれば「聞き取れない」/「求めよさらば与えられん(マタイ7:7)」。求める者には与えられる。だが求める姿勢はどうだろうか?/今日は聖霊降臨記念日(ペンテコステ)。アパルームの祈りはどのような祈りだっただろうか?心を騒がせてはならないとの主イエスの御言葉に従う祈り、自己主張ではなく神の御心を「聞きたい」と求める祈りだったのではないか/私達が語る以前に主は知り賜う。全てを知り賜う主がなんと語りかけられるかを「聞く」ことこそ、求める者が受ける者とされる祈りなのである
2014.6.1 『どこに立っているか』
聖書箇所/ルカによる福音書9章46~62節 メッセンジャー:川内裕子師
エルサレムに向かう決意を固めたイエス。弟子たち、サマリア人たち、イエスに従いたい人々など、様々な場所や状況でイエスと出会う人々は、イエスとすれ違いを起こします。なぜでしょう。天に上げられる時期が近づき、エルサレムを目指したイエスの姿は、徹底して仕える者としての姿です。私たち一人一人の罪の贖いのために、私たちを主の元に立ち返らせるためにイエス・キリストは仕え尽くされました。それは例えば誰が一番偉いかと議論する弟子たちの姿とは対極にあるものでした。私たちの日々の出会いの中で、「どこに立っているのか」ということは大切なことです。同じ出来事でも立ち位置が違うと全然捉え方も違います。イエス・キリストにならい、小さきことに忠実に、仕えて従う事ができますように。