結果オーライ…とはいかないの?
人の心には多くの計画がある。しかし主のはかりごとだけが成る。箴言19章21節
目標とする結果がある。その目標が達成される。で、本当ならそれで「ああ、良かった」となると思うんですが、どうやら世の中にはそんな「結果オーライ」を受け入れられない人も少なからず居るようです。
1つの理想とする目標があってもそれを「達成したのが誰か」によって、結果を喜べる人と喜べない人が居るワケです。達成したのが自分で無ければ、自分の主張や指示やアイデアを基にして達成されたのでなければ、目的は達成されているのに粗探しや難癖をつけて、その結果を自分の喜びとして受け入れる事が出来ない、それってもったいないし、哀しい事だなって思います。
誰だって良い評価を受けたいと思うでしょう。悪評を好む人はあまり居ないでしょう。別にそれはそれで良いんです。でも、誰かが受ける「良い評価」を、達成された目的という結果を一緒に喜べないというのは間違ってると思います。ましてや、自分が良い評価を受ける形で目標が達成されなかったからといって、せっかく結ばれた結果を「あんなんじゃダメだ」「これじゃ問題がある」なんて文句を言ってちゃ、やっぱりそれってその人の内に大きな問題があるんだと思います。
どんな取り組みであっても、自分が好評価を受ける形であってもそうで無くても、ただ「神の御心だけが成ったのだ」と喜んで受け止められるなら、みんなで一緒に目標達成を楽しめるのになぁ…。